荷物は軽く、自分の基準で
今年の一月一日から2か月間続けていることが、毎日ひとつ持ち物を処分すること。
荷物は軽く、自分の基準で
私は持ち物は多い方だと思う。
数年前ミニマリストという言葉が一般的に使われるようになってから、その存在に憧れを抱きつつも、そうなりきれない自分にいい意味であきらめてしまってもいる。
必要なものだけを持って、最小限の手間で上質な暮らしを楽しむというライフスタイルはいいこと尽くしのように思える。
だけど、やっぱり私には必要なのだ。
去年の夏に川で息子と拾ったきれいな石も、ずっと昔に夫からお土産でもらった不細工な梟の置物も、ただ好きだという理由だけでそこにいるありとあらゆるものたちが。
使わないし、つまり役に立ってないし、だけどなぜか取っておきたいものたちが家にはたくさんある。
だからせめて、そんな風に心に絡めとられていない本当の不用品はすっぱりと処分していこうと思い立った今年の年明け。
少なくとも一日ひとつずつ不用品を処分すると決めて、約2か月間毎日続けた。
最初はわりと好調で、洗面所の棚の奥で埃をかぶっていたヘアケア用品だったり、同じくキッチンの棚の奥で眠り込んでいたもう使わない製菓用品なんかを次々掘り起こした。
使えるものは、使って、使い切る。
使えないものは、潔くゴミ箱に入れる。
私は使えないけど、まだ使えるものは人に差し上げる。
1週間ほど経つと、見た目はそれほど変化がないのに家の中がスッキリしてきた気がした。
何より心が軽くなっていくのが楽しくて、物だけに限らず、スマホの中の使っていないアプリを削除してみたり、もう使わない銀行口座を解約してみたりもした。
2週間、3週間目はだんだん処分するものがなくなってきて、うーん今日は何を捨てようかと悩むことも。1ヶ月を過ぎると、もう捨てるものなんてないんじゃないかと思ったり。
だけどやめなかった。
そういえば、これもちょっと気になってたのよね、っていうものを、心を鬼にして処分する。
本当に必要なものなら、そもそも捨てようかなと悩むことすらないはずだから。
今日でちょうど2か月。
記録を見返してみたら152個のものを処分していた。
幸か不幸か、152個の持ち物がなくなっても暮らしていく上で何の不便も不満もない。
生活も家の中も、何も変わっていないように見えるけど、頭の中はすごくスッキリしている。気持ちが良い。
今まで無意識に感じていた「あれ使ってないな、どうにかしなきゃ」という思いがなくなったところに風が吹き抜けていくような感じ。
それでも、最初に申し上げた通り、他の人には不用品でも自分では絶対に捨てないものは今もそこにある。
玄関の特等席に置かれたキラキラの川の石は、今日もそこに鎮座してる。
荷物は少なく、軽い方がいい。
持ち歩くものだけじゃなくて、自分が人生で抱えていく荷物すべてにおいて。
その方が絶対抱えておきたいものを言葉通り掌中の珠にできるし、いつも軽やかな自分でいられる。
ものを持つ基準は自分で決めればいい。
あの人には不要なものが自分には必要で、その逆もしかり。
そうしてこの世界の中でうまく物事がおさまっていくのが、心地いいこと。