気を利かせたいところと鈍感になりたいところ
敏感に感じ取って気配りしたいところ
「気が利くね」ってよく言われます。
地域のゴミ捨て場のゴミが散らばっていたら片付けて、ご近所さんから「あら、気が利くわね」って言われたり。
職場で頂き物のお菓子が置きっぱなしになってるときはお茶を入れてみんなに配って、同僚から「いつもありがとう、ホント気が利くよねー」と感謝されたり。
ボランティアの集まりで何となく決まったことを、その場でさくっとまとめて周知メールを送ったら「気が利いてるよね、助かるー」って褒めてもらえたり。
多分これらはすべて私がいちいち覚えているだけであって、これくらいのことはたいていの人が当たり前にやっていること。
特に女性は、子どもの頃から周囲に気を配ることを求められることが多いから、自然と振舞っているだけでも「気が利く」って評価されることが多いんだと思います。
こういう気遣い、嫌いじゃありません。
男女の別なく、周囲の人への心配りってある種のマナーであると思うし、社会生活を営む上で必要なもの。
だから、周りの状況はよく見ておきたいし、相手の人が今何を求めているのかには敏感でいたいと思います。
反対に、ここは鈍感になってしまいたいところ
その一方で、ここに関しては鈍感になりたいなっていうものもあります。
それが、自分以外の誰かの行い。
例えば、夫の雑なお皿の洗い方。
例えば、気の利かない同僚の無関心っぷり。
例えば、母親の痛烈な嫌味。
こんなのは全部、見ない・気づかない・気にしない。
自分だったらこうするのにとか、なんでそんなこともわかんないのとか、そんなこと言われたってとか、そういうことをいくら自分が考えていても相手の行いを変えることはできません。
気にしてもどうしようもないものは、最初からもう見ないフリ・気づかないフリ・気にしないフリをしてしまいます。
見極めが大事
鈍感であることがプラスになることがあるっていうのは大人になって気づきました。
敏感であるべきところと、鈍感になってしまうところを見極めて、無駄に消耗せずに楽しく日々を過ごしましょう。