親切は「自分の負担にならない範囲」でする
この年になってようやく、他人のために何かできることの良さを感じています。
損得で自分の行動を決めていた頃
こどもの頃は自分の行動をその場の損得で考えることが多かったです。
ゴミが落ちてる→拾っても誰も褒めてくれそうもない→じゃあ拾うだけ私が損するから拾わない。
バスで立ってるおばあさんがいる→席を譲ったら周りの人に「良い人だ」って印象を与えられそう→譲る。
洗い物が溜ってる→朝食の食器も私が洗った→今回も洗ったら私ばっかり損してる気がする→夫に洗わせたい→私は洗わない。
みたいな。矮小な例えで恥ずかしい限りです。でも万事においてこんな感じでした。
人に良く思われたいから行動する。誰も褒めてくれないならやらない。
他人の評価を元に自分の行動を決めていたんです。
助け合った方が、ラク
30歳を過ぎて、最近ようやく「人と助け合うこと」ができるようになりました。
昔は分かってなかったけど、実は人と助け合う方が楽に楽しく過ごせるのですよね。
「得」とか「損」なんて考え方は不要。
自分は自分のできることを、人はその人のできることをする。それでいいじゃん。
そうやって色々なことをうまく回すのが、人間のつくりだした社会の良さ。
ゴミを拾っても誰も気づかないかも知れないけど、街がキレイな方が気持ちいいじゃん。
席譲ったら、おばあちゃんは座れて楽だし、私も気分いいじゃん。
お皿洗えばいいじゃん、夫は夫で気づいたことをしてくれるよ。
誰かに親切にするときは、それくらい気楽にやってます。
ただし、気をつけていることがひとつあります。
親切は、自分の負担にならない範囲で
人に親切にするときは、無理をしないように気をつけています。
無理をしてまで良いことをしようとしない。
人から頼まれたことも、無理だと思えば謝って断ります。だけど、できそうと思えばやる。
重たい娘を抱えているのに、他の人の荷物まで持とうとしない。だけど、エレベーターの開くボタンを押して人を待つとか、困ってる人に声をかけることならできるからやる。
疲れちゃった日は、夫のシャツのアイロンがけはしない。だけど、疲れた夫と食べるアイスクリームを買っておくことはできるからやる。
無理しない。できることだけする。
そうじゃないと、また「こんなにやってあげてるのに!わたしばっかり苦労してる!」って思っちゃうから。
無理してまで人に親切にすることはないんだよ。
自分にできることをして、人はその人にできることをして、それで自然とまるくおさまっていくから。