心だって、汚れたら洗えばいい
時どき、自分のことを振り子のようだなぁと思います。
振り子のように良くなったり悪くなったり
すごく前向きな気持ちで、あれもこれもやっちゃおう、わーなんか夢がいっぱいで人生超楽しい!って日があったかと思えば、急に、自分なんてちっぽけだし、たいして社会に役立ってるわけでもないし、どうしようもない生き物だわってなんかしょんぼりしちゃう日もあります。
今日はめちゃくちゃ掃除がんばったぞっていう次の日には「あー掃除とかたりぃ」って言ってる時もある。
今しかないこの可愛い子どもたちのために時間を最大限使おう!って決意したけど、やっぱり自分のこともやりたいってなったり。
何事においても、あっちへ振れたかと思えば、こっちに帰ってきて、気づいたときにはまたあっちへ。
たぶんこの揺れが小さくなることが悟りという状態なのかな。
そういう振れ幅の小さい生き方ができればまたひとつ人間としてレベルアップできる気もするし、しかし今のこの、あっちへゆらゆらこっちへゆらゆらしたせわしない状況もそれはそれで楽しかったりします。
要は、そんなふうに明るい気分の時もあれば暗い気分の時もある、優しい気持ちの時もあれば心がささくれ立ってる時もある、満ち足りているときもあれば不平不満にまみれているときもある、そういうのが人生の一つの醍醐味であって、そのマイナス面をことさらに悲観することはないんだろうなということです。
今の自分ちょっと嫌だなって思ったら、変に自己嫌悪せずに、鷹揚に構えていればいい。またそのうち良くなるから。
どんなものも使ってるうちに汚れるもの
どんなものだって、最初は新品でぴかぴかしてても、使えば汚れる。
汚れたって、洗えばまたきれいになる。
新品のようなきれいさはなくても、そこには使いこんだだけの風合いがでてくる。
心だってそれといっしょで、毎日生きてれば多少汚れてネガティブな方面にいっちゃうけど、そんなときは洗っちゃえばいいんじゃない。
私の場合は、気持ちが前向きになるような本を読んだり、憧れの誰かと喋ってみたり、きれいな写真や絵を見たり、自然の中で五感を働かせてみたり、無心で何かを作ったりする時間が、心を洗うことになってる気がする。
みんなそれぞれの、心を洗う方法を持っておくといい。
心だって、汚れたら洗えばいいだけだからね。