一つやれば、一つ終わる
一つやれば、一つ終わる
毎日、思うようにならないことに心が疲弊している。
8歳の息子は自分の世界がいかに楽しいのか喋り続けてくるし、0歳の娘は活動している間じゅう一瞬でも私の視線が自分から離れると泣きながら抗議してくるし、夫は仕事が楽し過ぎて自分の身を顧みず常に心と体が不安定でケアが欠かせない。
私の状況おかまいなしに、家族が私を必要としてくる。
あれをやりたい、これもやりたい。そんな気持ちを棚上げでして、家族のために過ごす日々。
良いお母さんをやれているかもしれないけど、そんなきれいごとは置いといて、心はどんどん疲弊していく。
自分で分かるんだ、どんどん心が荒れていく様が。
自分を守るために、たまには全てをほったらかして逃げる。一人で外に出る。
好きなだけ本屋さんをブラついて、カフェでのんびりお茶をして、さぁ元気になったぞと思って帰宅。
そしてまた嵐の中に飛び込む。
散らかった部屋、放置したままの洗濯もの。流しの中には汚れたお皿がたまり、喋りながらずっと着いてくる息子とギャン泣きしながら足にすがりついてくる娘。そして遠くでしんどそうに横たわる夫。
そりゃそうだ、全部放置して出かけたのは私で、出かけている間に家の中がきれいさっぱり片付くことなんて有り得ない。
自分が片付けなきゃ、片付かないのだ。自分がやらなきゃ、終わらないのだ。
逃げていたって始まらない。
自宅という私の一番好きな場所を、私の一番好きな場所であり続けるためには、私が動くしかない。
中学時代に一度、学校で泣き出したことがある。
今では理由もよく覚えていないけど、勉強のことやテストのこと、友人たちとのいざこざ、家族との関係、そういう些細な悩みが積み重なって、今よりもっと小さくてもろかった心が爆発したのかもしれない。
その時、担任でもなく特別親しかったわけでもない、ある先生が言った。
「大丈夫だから、一つずつやりなさい」
まず一つ、目についたものからやる。一つひとつ必ず終わりがあるんだから、一つずつ片付けていけばいいのだと。
一つやれば、一つ終わる。
その先生の言葉を、大人になった今も呪文のように唱えている。
とにかく、息子の気が済むまで話を聞く。
タオルを一枚畳む。
乾いたお皿を棚にしまう。
そんなことをしてると娘を抱きながらでも、落ちているごみを拾ってゴミ箱に捨てるくらいはできることに気づけたりする。
こんな状況じゃ何もできないと思ったけど、些細でもできることはあるものだなぁなんて思えたら、心にこびりついていた負の感情が少し取れているかもしれない。
まぁまたすぐ疲弊してくるんだけどね。
疲弊して、回復して、疲弊して、回復して、その繰り返しだ。
完全に回復しきることはないけど、溜まりっぱなしにならないようにするだけでも大したものだ。
一つやれば、一つ終わる。
今この状況でもできることを考えて、一つずつ片をつけていこう。