丁寧に生きることで、生活をコントロールしてる実感が得られる

 「丁寧に生きる」っていう表現があまり好きじゃありません。

綺麗ごとじゃんと思ってしまう。

生きるって、生活するって、そんな生半可なものじゃないだろ。

だけど、改めて自分の生活を振り返ってみると、丁寧な行動をとるって大切なことだなぁと思いました。

 

てい‐ねい【丁寧/×叮×嚀】 の意味    出典:デジタル大辞泉
[名・形動]
1 細かいところまで気を配ること。注意深く入念にすること。また、そのさま。「アイロンを―にかける」「壊れやすいので―に扱う」
2 言動が礼儀正しく、配慮が行き届いていること。また、そのさま。丁重 (ていちょう) 。「―な言葉遣い」
3 文法で、話し手が聞き手に対して敬意を表す言い方。→丁寧語

 

先日美容院で枝毛だらけの髪を綺麗にしてもらって、お風呂上りに時間をとって乾燥した肌を保湿するようになって、それまでいかに体に対するケアがおろそかだったのかを思い知りました。

やってはいたんだけど、ささっと済ますというか、荒っぽいというか。

ケアそのものも雑だし、なんならケア用品の扱いも雑だった。化粧水の蓋が半開きでも気にならなかったし。

それが、ちゃんと保湿しようと思って丁寧にやってると、化粧水の蓋もちゃんと閉めて、きれいに並べられるし、化粧品が入ってる棚も拭いちゃったり、その横にあるタオルも畳んで入れなおしたりしてました。

その後、いつものようにお米を研いだんだけど、自然といつもより丁寧に研いでいて、翌朝炊き上がったご飯は真っ白でつやつやしていて、息子のお弁当によそって置いといたら、いつもはこちらが声を掛けるまで何もしない息子が自分からすすんでお弁当袋に包んで登園準備を始めました。

 

あー、丁寧にするって、すごいことなんだなぁと思いました。

 

ひとつ何かを丁寧にすることで、自分の他の行動も丁寧になるし、他のひとの行動までいい感じになっちゃう連鎖反応。

そして、丁寧に行動できる自分に対する、ちょっとした達成感。

 

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丁寧にやるっていうのは付加価値みたいなもので、「丁寧さ」ってなくても案外やっていける。

だけどその必須じゃない「丁寧さ」をあえて実行することが、自分の人生を自分でコントロールしてるんだって実感につながるんだな。