ゆっくりやる、の効用
秋ごろから、何事もゆっくりやる、ということを続けています。
せっかちも悪くないのだけど
思えば昔からせっかちでした。
めんどくさがり屋なのに、いざ動き出してみるとなるべく早く済ませたい、片付けたいって思ってしまう。
早く早く、急いで急いで。
社会人になってからは職場で効率化を求められることもあり、そして徐々に物事を合理的に進める気持ちよさも知り、ますます「早いことが良いこと」だと思うようになりました。
同じ成果を、なるべく少ない時間で実現できたら、それはとても良いことだと今も思います。
特に仕事面においてはそれがコストダウンにもつながるから、成果物のクオリティが下がらないのであればせっかち=悪ではない。
なんだけど、ある日突然、私生活においてはそんなに焦る必要なくない?と思ったんです。
いまの私にたっぷりある時間を贅沢に使う
お金も、人に誇れる技術も、私は持ってないけど、そういえば時間だけはたっぷりあるぞ。
だったら、大事な自分や家族のためのこの生活に、その時間をたっぷり使えばいいんじゃないかなって。
それまでは洗濯もお皿洗いも掃除も、特に家事に関してはなるべく時間をかけずに済ませたいと思ってたんだけど、あえてゆっくりやってみる。
家事だけじゃない、ごはんを食べるのも、歩くのも、本を読むのも、キーボードを打つのも、ゆっくりゆっくり。
今までの癖で、意識しないとついババっとやってしまうのだけど、そういうときこそ自分に「ゆっくり、ゆっくり」って声をかける。
時間をかけようとすると自然と丁寧にやってしまう
不思議なもので、何事も時間をかけようと思うと、それはそれで難しい。
うーん、浴槽なんてびゃーっと磨けばすぐに終わっちゃうぞ?どうしよう?よし、端から少しずつ磨くか。
このコーヒー、どうすればゆっくり飲めるかな?よし、一口ひとくちをちょっとずつ口に運んでじっくり飲み込もう。
こんな感じで、時間をかけようと思うと、自分の所作が自然と丁寧になるのです。
それに気づくと何だか気分が良くなって、次の動作もまたゆっくりやれる。
そうやって一日なにかとゆっくり動いていると、リラックスできるのです。
ゆっくり動くことを意識した本日。とても良かった。
— きりん屋 (@kilinya_) 2018年10月12日
何事もゆっくりやろうと思うと自然に丁寧になるし、ゆっくりゆっくりって自分に言い聞かせるとリラックスできる。
ずっと合理的に効率的に動くことが一番気持ちいいと思ってたけど、こんな贅沢な生き方もあるんだな。
動きだしはササっと、動いてる最中はゆっくりと
ゆっくり、と混同してはいけないのがダラダラすること。
私の場合は特に何かを始めようとするときにダラっとしてしまうと良くないです。
お皿を洗おうと思ったら、さっと始めてしまうこと。ここはゆっくりしない。
そしてお皿洗いを始めてしまったら、そこからはゆっくりゆっくり。
自分の行動に緩急をしっかりつけることで、テキパキと丁寧は十分両立できるんだな。