非の打ちどころがない人として過ごす
毎日テーマを決めて一日を過ごすようにしています。
昨日のテーマは「非の打ちどころがない人として過ごす」でした。
非の打ちどころのない人として一日を過ごしてみよう
そもそも非の打ちどころがない人ってどんな人だろう。
礼儀正しくて、誰にでも優しくて、賢くて、何事にも真面目に取り組む。そういう完璧な人。
そう、完璧な人。
そして、朝から自分は完璧な非の打ちどころがない人として過ごすことにしました。
ごみ出しの時、ご近所さんの出したごみをカラスが散らかしてた。
いつもなら「あーあ」で終わるところを、昨日は散らかったごみを集めて我が家のごみ袋に一緒に入れて、道路をきれいにした。
本を読んでいた時、息子が「株価ってなに?」なんてやっかいな質問を投げかけてきた。
いつもなら「なんだと思う?」って適当に受け流すけど、昨日は「良い質問だね、一緒に調べてみようか」って真摯に対応した。30分以上かかった。
棚の上からものを取ろうとしたら、夫がぐちゃっと入れていたものがばらばらと落ちてきた。
いつもなら「もおっ!だから片付けてって言ったのに!」ってぷりぷりしちゃうけど、昨日は「だれもケガしなくてよかった」って思いながら片付けて、ついでに棚の中身を整理してものを置ける余裕を作った。
娘が意味不明に泣き喚いたときも、優しく相手をした。
誰かが駐車場に置き去りにしたカートも、一度お店に引き返して所定の位置にもどした。
床に落ちていたゴミや服もさっと拾って片付けた。
忙しくてもバタバタせずに、ゆったりと丁寧にできた。
夕方には疲れてしまってこたつで昼寝でもしたかったけどそこはぐっと我慢し、さっさと家事を終わらせていつもより早めに布団に入った。
布団の中で、なんとも言えない満足感を感じました。
なんだかすごい良い一日だった。
別に自分が完璧な人間になったわけじゃない、完璧な人間になったふりをしただけ。
でも、ふりをしているだけでも行動はいい方向に変わるし、変われた自分は気持ちのいいものでした。
思えば、自分の周りにも、あの人って本当に人間ができてて非の打ちどころがないな~っていう人がいるのです。
きっとその人だって、嫌なこともあるだろうし、めんどくさい気分の時も、なんとなくむしゃくしゃイライラする日も、頭やお腹が痛くて本調子じゃない時もあるはず。
だけどそれを感じさせずに、いつも良い人であろうと努めているだけ。
完璧な人間はいないかもしれないけど、完璧な人間だと感じさせる人はいる。
そして、完璧であろうと努めることは私にもできる。
非の打ちどころがない人として過ごす。ゲームのように楽しんでいるうちに本当にそういう人になれるかもしれないな。