そもそも何も持っていないんだから大丈夫

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赤ちゃんである娘1歳と過ごす毎日は、思いのほか楽しい。

ころころ表情を変え、とてとて歩き回って、そのぽってりしたフォルムでやる仕草のいちいちが私の心をくすぐってくる。

8歳の息子で鍛えられた私が母としての貫禄もついてきて、1歳の赤子が泣こうがわめこうが余裕を持って対応できるようになったのも、この穏やかな日々に一役かっている。

 

だがしかし、いまだに苦手としている分野もある。寝かしつけである。

眠いなら寝ろよと、なんど思ったか知れない。

 

そもそも何も持っていないんだから大丈夫

娘の場合、午前中と午後にお昼寝をすることが多くて、だいたい寝かしつけるのに30分くらいかかる。

調子がいいと10分で寝るときもあるし、調子が悪いと1時間以上かかることもある。

最悪なのは、1時間以上付きっきりで寝かしつけたのに、結局眠らずにまた遊びだしてしまうパターン。

あれにはガッカリしてしまう。途方に暮れるってこういうことを言うんだなと思う。

 

娘が寝てくれたら、自分の時間を自由に使える。

5分で起きるかもしれないという時間の読めなさはあるけれど、少なくとも今この時は自由を満喫できる。

パソコンを使ってもいいし、本を読んでもいい。コーヒーを味わっても、裁縫をしても、絵を描いても、映画を見ても、邪魔されない時間。至福の時間。

娘がいくら可愛くても、やっぱり自分一人で自由にできる時間が私には必要なのだ。心の栄養として。

 

寝かしつけに時間がかかればかかるほど、その大切な時間が奪われる気がする。

そう思うとますます早く寝てほしくて、眠らない娘にますますイライラを募らせて、寝かしつけがますます嫌いになっていく。

 

でもそもそも、時間って所有できるものだったけ?

 

店員さんが何かに手間取っていてレジがなかなか進まないとき。

子どもが要領を得ない話をえんえん繰り返すとき。

目の前で扉が閉まってしまい電車に乗り遅れたとき。

誰かの失敗をリカバリーするために奔走するはめになったとき。

私は、まるで自分の時間が奪われたようで、自分の重大な権利が侵害されたような気分になってイライラしてしまうことがある。

 

だけど、もともと私は何も持ってないし、奪われてもいない。

与えられることが約束されている時間なんてないよね。今のこの時間はたまたま私に与えられた時間にすぎない。

何にも持たずに生まれてきて、何にも持てずに死んでいくのが人間。

たまたま今日を生きていて、時間はあたりまえに自分のもののように思ってしまっているけど、いつ死んでその時間が泡となるかなんてわかんないから。

そもそも何ももってない。たまたま与えられた時間でしかない。

 

そう思えるようになってから、娘が寝ようが寝まいが、いい意味でどうでもよくなった。

寝たら寝たでいいし、寝ないなら寝ないでハッピーに過ごせる方法を探すだけ。

 

そもそも何も持っていない。だから大丈夫。