楽しいことや自分を磨くときは、時間をかけてもいい
今はできないから、できるようになりたいこと。
今は知らないから、学びたいこと。
こういう人間になりたいとか、こういうことを楽しみたいとか、そういうものがたくさんあります。
そしてそれらを少しずつ習得していくのが人生の醍醐味でもあると思う。
そういうことに前向きな自分も嫌いじゃない。
しかしながら、最近の自分は気持ちばっかり駆け足が過ぎるのかも知れないと思ったことがあったので、今日はその話です。
限られた時間を有効に使うのは大事だけど
合理的に物事を進めるのが好きです。無駄は嫌い。
どうすればもっと効率的にできるか、同じ作業を半分の時間でやるにはどうしたらいいか、そもそもこの作業って絶対必要なのか、そういうことを考えて、試行錯誤するのは楽しい。
だから自分は仕事が好きなんだと思います。
どんな単純な作業も、工夫しようと思えばいくらでもできるし、面白くなる。
時間=コストだから、特に仕事においては自分のこの性格が高評価に結びつくことも多くて、「効率化」というのは何をしていても常に頭の中にあるし、そういう生き方自体は間違いじゃないと思う。
だけど、ふと振り返ってみると、今のわたしは、とにかく何でも「早く」「時短」を目指してしまってたかも知れない。
時間をかけるべきものにたっぷりの時間をそそごう
わたしたちが物事を効率的に進めるのを良しとするのは、それで空いた時間に、他のことができるようになるから。
つまり、使うべきところ(わたしの場合は、好きなことややりたいこと)にたっぷりの時間をかけることができるように、ルーチンワークや日々発生する雑務はなるべく効率的に処理していくのだ。
それなのに、まいにち息子を「早く早く」と急かしたり、旅行中に夫が道を間違えただけで「あー、もう時間がもったいない」ってなったり、今とある分野の勉強をしてるんだけど、いつまで経っても身に付かないなぁって落ち込んだり(まだ開始して2週間なのに。笑)。
大好きな絵を描くことや文章を書くことも、上手になりたい料理も、もっと短時間で上手くやれる方法はないかな、とか、ついだらだら続けちゃうから今日は一時間までって時間を区切ったり、そのものを単純に楽しむというより、作業のようになっていたかも知れない。
いいじゃん、時間かければ。
息子を送って行って、保育園で朝の準備をしてる時に友達が登園してきて、準備そっちのけで戦いごっこ始めても、いいじゃん。
道間違えたっていいじゃん、それこそ旅行の醍醐味じゃん。
知りたくて始めた勉強、どんどん時間かければいいじゃん。
1ヶ月やってみて、まだ同じだったらその時にまたやり方を考えればいいじゃん。
好きなことは好きなんだから、時間を忘れて没頭しちゃえばいいじゃん。
焦んなくていいじゃん。
そういうことを楽しみたくて、家事の時短がんばってるんでしょ。
自分を磨くときは、楽しいことを楽しむときは、時間をかけてもいいんだ。