人との関わりがくれるもの
一人の時間を過ごすことがなにより好きです。
そして一方で、誰かとの関わりの中で新しいものの見方をできるようになることにもこの上ない喜びを感じます。
先日、友人にある悩みを相談しました。
別に深刻なものではなく、まぁ雑談がわりに話したに過ぎません。
友人は「難しい問題だね」って言った後、「でもまぁボブディランも言ってるからね、”答えは風の中にある”って!」とあっけらかんと言い放ちました。
ボブディランの「風に吹かれて」。
曲は聞いたことがあったけど、歌詞を認識したのは初めて。
調べているうちに、この曲に関するご本人のこんなインタビューも見つけました。
この歌についちゃ、あまり言えることはないけど、ただ答えは風の中で吹かれているということだ。答えは本にも載ってないし、映画やテレビや討論会を見ても分からない。
(中略)
俺にとっちゃ(答えは)風にのっていて、しかも紙切れみたいに、いつかは地上に降りてくる。でも、折角降りてきても、誰も拾って読もうとしないから、誰にも見られず理解されず、また飛んでいっちまう。
(雑誌「シング・アウト」より)
曲のタイトルにもあるように、答えは「風に吹かれて」いると和訳されるから、多分解釈としては「答えは神のみぞ知る」「答えはすぐそばにある」みたいな感じよね。
すべての答えは多分もうどこかにあるんだけど、今は風に舞っていて分からないだけ。
いつか落ち葉のように自分の足元に落ちてくることもあるかもしれないし、あのビニール袋のようにどこまでも風の中を漂い続けるのかもしれない。
友人のこの、ボブディランの話は、私の悩みに関する具体的な解決策では全くないし、正直なんのアドバイスにもなってない他人事な返答だなって感じもするのですけど、私は「見える世界が広がったな」って感じがしたのです。
今まで見えなかったものが見えるようになったような。
今までもボブディランは知っていた。風に吹かれても聞いたことがあった。
でもその歌詞の中に「友よ、答えは風の中を舞ってるぜ」というメッセージがあるって知ることで、本当に答えはその辺にあって今の私には分からないけどそのうち見えるのかもしれないなって思えるようになりました。
そういう世界の捉え方があるってことを知りました。
世界の捉え方が増えるってことは、世界が広がることでもあると思う。
今までとは違う、世界との付き合い方ができるようになったわけだしね。
友人の何気ない一言で私の世界が広がった。
こういう経験をするたびに、人と接するのって面白いなって思う。
人はみんなそれぞれ自分の見方で世界を見ながら暮らしている。
誰だって自分の知っていることで、ものを判断したり、感じたりする。
その感覚は完全にその人のオリジナルのもので、他の誰とも違う世界の捉え方だ。
あの人はどんなことを知ってるんだろう。どんなふうにこの世界を見ているんだろう。その見方を私にも教えてほしい。
そういう人との関わりは私の住む世界をとても豊かなものにしてくれるだろうなと思います。