「めんどくさい」って言うの、やめてみよう

 

何かをするときに、つい「めんどくさいなー」って思ってしまいます。

誰かに何か提案された時も、「あー、それめんどいね」「うーん、ちょっとめんどくさくない?」「いい考えだとは思うんだけど、めんどくさいかな」って言葉がつい出てしまう。

 

だから「めんどくさい」って言うのしばらくやめてみようと決めました。

 

それって、そんなに「めんどくさい」こと?

 

先日のお休みの日、朝起きてのんびりしてたら息子が「どっか遊びに行きたいな」って言いだしました。「どこか、楽しいところに」って。

横にいた夫と二人で何やら相談して、「じゃあココに行ってみよっか」って一つの提案がされました。

 

私はなんかもう、めんどくさくて。

 

だってせっかくのんびりした休日の朝を過ごしてるのに、お出かけってなったら食器も片付けなきゃいけないし、持ち物準備しなきゃいけないし、あとは、あとは。。。

 

あれ?そんな面倒くさいってほどじゃないなって気付きました。

何をそんなに面倒だと思っちゃったんだろう。ばっかみたい。行こう行こう!ってなって、とても楽しい一日を過ごしました。

 

「めんどくさい」って思うのが習慣になってるかも

 

思いっきり楽しんで、じんわり疲れた体で帰宅した後、なんでこんなに楽しいお出かけが行く前はあんなにめんどうに感じたのかを考えてみました。

出発前の家の整理、出かけるための準備、出先での子供たちの対応、目的地や行程上の情報収集や、帰宅後の片付け等々、挙げてみると確かに色々な手間が発生します。お金もかかるし、一日出かけていればその分自分のことをやる時間は減ってしまう。

 

でもそれって、どれも私にとって致命的な障害ではないのも事実です。

そして、それを堪えて出発してみたら、こんなに楽しい一日になったわけだし。

 

もしかすると私は、何か事にあたるとき、ついそれを「めんどくさい」と思ってしまうようになってるのかも知れないなと思いました。

 

そもそも「面倒くさい」って、手間がかかって煩わしいとか、それゆえにうんざりしてやる気が削がれるとか、そういう意味だと思ってます。

手間がかかって煩わしいこと、生活していればいっぱいあるよね。

 

でも実際にはそれほど手間じゃないことに関してまで、面倒くさいと思ってしまってるとしたら、あまつさえ、そう思ってしまったがゆえに、実際の行動に移すことをためらう理由にしてしまってたとしたら、こんなに悲惨なことはないなぁと思うのです。

 

めんどくさいオバケで行動をためらうのは悲惨

 

よく、「お風呂に入るのはめんどくさいけど、入った後に入浴したことを後悔することはない」っていう例え話を聞きます。

何事も取り組む前はめんどくさいなと思ってしまうもの。だけどやってしまえば、気持ちはすっきりするのです。達成感を感じたり、楽しい思い出になったりするのです。

 

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めんどくさいはオバケみたいなもので、よくよく眺めてみると実体は大したものじゃなかったりする。

そんなめんどくさいに阻まれて、何かをやめるのはもったいない。

 

今日から「めんどくさい」っていうの、やめよう。