家族に対する「自分ばっかり苦労してる!」をやめる

家族が大事です。私の人生で大切にしたいものTOP3に入ってる。

しかし、大切にしたいのに、その気持ちに反してなぜか大切にできない時がある。

今日はそういうお話です。

 

大切にしたいのに、できていない状況

家族、大切にできてますか?私はできないっす。

気を張ってるときはできるけど、他のことに忙しくなったりするとついつい後回しになる

 

時々、家族の幸せより自分の欲求を優先してしまうことがあるんです。

もうちょっと正確に言うと、やることはやるけど、嫌々というか、「なんで私ばっかり彼らに尽くさなきゃいけないの?」感が満載というか。

そういうのって、感じている自分も嫌だし、家族にもそういう気持ちって何となく伝わっちゃって、いや~な気持ちにさせちゃいますよね。だれも幸せになれない。

 

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大切にできない原因と理由が「わたしばっかり」という気持ち

私だってもっと、ドラマに出てくるような優しい妻・優しい母になりたい。

 

朝は早く起きて笑顔で家族を起こし、美味しい朝ごはんで一日をスタートして欲しい。

彼らが人生に迷った時は優しくそばに寄り添いたいし、いつも一番の理解者でいたい。

家族の幸せが自分の幸せだと心から思って、清潔な洋服や寝具を用意して、美味しいごはんを作って、いつも安心と安らぎを提供できる人間でありたい。

 

でもできない。

それを邪魔する原因がいつも「なんで私ばっかり!」っていう気持ちだし、それを邪魔する理由もいつも「なんで私ばっかり!」っていう気持ち。原因も理由も同じ気持ちなんだ。

 

家族を仲間だと思えれば、「わたしばっかり」はなくなるはず

 「嫌われる勇気」という本にこんなたとえが出てきます。

夕飯後にテーブルに食器が残ったまま。家族は誰も動こうとせずに、妻である自分がやらざるを得ない状況で、「どうして誰も手伝ってくれないのか」「なんでわたしだけが働かないといけないのか」と考える。私も思い当たる節がありすぎる話です。

それに対する哲人の話。

 

しかしこのとき、たとえ家族から「ありがとう」の言葉が聞けなかったとしても、食器を片付けながら「わたしは家族の役に立てている」と考えてほしいのです。他者がわたしになにをしてくれるかではなく、わたしが他者になにをできるかを考え、実践していきたいのです。その貢献感さえ持てれば、目の前の現実はまったく違った色彩を帯びてくるでしょう。

 

いやー。いやいやいや~?だから、そう思えないから困ってるんですけど?

わたしが他者になにをできるかを考え、実践していきたいのです。」

いきたい。いきたいよ?いきたいですともその境地に。でもできないの!

 

本を読み進めていくと、ここで「貢献感」が持てるかどうかは、自分が相手のことを「仲間」だと思っているかどうかによる、ということが書いてあります。

 

ありのままの自分を受け入れるーーつまり「自己受容」するーーからこそ、裏切りを恐れることなく「他者信頼」することができる。そして他者に無条件の信頼を寄せて、人々は自分の仲間だと思えているからこそ、「他者貢献」をすることができる。

 

私はこのあたりがイマイチ理解できてないんだよな。

つまり家族を「仲間」だと思えてないってことなのかな。

 

でも何度も何度も本を読んでも、どうすれば家族を仲間だと思えるのかもわからない。

本を読む限り、「自己受容」ができれば「他者信頼」ができて「他者貢献」することができるってことだと思うんだけどな。違うのかな。

うーん、難しい。

けどここを乗り越えないことには自分の理想としてる妻・母に辿りつけない。

乗り越えようじゃないか。

 

やるべきことは、どうすれば家族を「仲間」と思えるようになるのか、その具体的な方法を見つけて実行すること。

よし、見つけて実践していこう。 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え