神社のお賽銭箱に1万円入れた話
今日はつい最近あった私のお金にまつわる話をします。
お賽銭を神様へのお礼と考える
以前も記事に書いた「かみさまとのおしゃべり」
この本のお金に関する話の中でかみさまが言います。
じゃあ先に、神社に一万円入れてみてはどうじゃろうか?
神様曰く、簡単に手放せるものはまた簡単に手に入る。
お賽銭として1万円さらっと払えたら、1万円はまたすぐに帰ってくるよ、とのこと。
お賽銭に1万円ですって。
最初読んだときは、いやいやバカバカあほじゃない??って思いました。1万円て。
ちなみに当時の私は、神社とかそもそも行かないし、行ったとしてもお賽銭もお参りもしてなかったです。
私はもともと超ケチな人間なので、無駄なものには一円も払いたくなかった。つまり神社にお賽銭を入れることは無駄なことだと思ってた。
自分の人生は、自分の力で切り開く。神様に頼ることなど弱さだと。
それがこの本を読んで、神社は神頼みに行くところじゃなく、感謝に行くところなんだと学びました。
それ以来、神様にお礼を言うために月に2~3回神社を訪ねるように。
お賽銭はいつも500円玉。我が家は3人家族なので、3人分の感謝で500円玉×3枚を入れています。
おつりで500円玉を貰ったり、お財布に500円玉が入ってると取っておいて、3枚たまったら神社に行く感じ。
500円でも、最初は「えーい!」って感じでした。今は平常心で入れられます。笑
今の自分に入れられる金額はいくらなのか
が、人間慣れてくると欲が出るもの。
今の私なら1万円札を入れることも出来るかもしれないと思って、「実験だ!」って感じで先日行ってきました。
昔通っていた幼稚園のある神社。私の思い出の場所です。
自宅からはちょっと遠いけど、せっかく1万円札入れるので奮発?して行ってきました。
やっぱりお賽銭箱を前にすると、躊躇しますね。笑
でも息子と二人で入れました。息子がさっさとしなさいよ的な空気を出してくるので、私も努めてささっと済ませたつもり。
たぶん彼はまだ千円も1万円も区別がつかないから、いつも通り飄々とした感じで、私一人が感極まってました。
やっとできたっていう感動と、あとこの気持ちは何なんだろう?なんか引っかかってる感じ。
後悔は全然してないんだけど、1万円入れたんだっていうのがずっと頭に残ってる。
「1万円札入れたんだぞ、なんか変わるはずだ」みたいな。
500円<私が簡単に手に入れられる金額<一万円
本当の金持ちはな…与え上手なんじゃよ。
というより手放し上手じゃ。なぜならお金を手に入れることが「難しい」とは思っとらんからな。
(中略)人は簡単に手に入ると思うものは簡単に手放すんじゃよ。空気を吸って、すぐに空気を吐くがごとくな。
このかみさまの言葉を読んでいて、空気のたとえは確かになと思いました。
空気を吸って、もったいないと思ってそのまま体に貯めといたことなんて生まれてから今まで一回もない。
それは、空気があたりまえに世界にあふれていて明日も明後日も思う存分吸えると思っているからこそだよね。普段そんな風に考えないけど。
お金も同じに、あたりまえに世界にあふれていて、望めば自然と手に入るものだと思えばそれは現実になるのかもしれないな。
さて、かみさまの言うことを信じるなら、たぶん私は1万円を手に入れるのに苦労しそうです。少なくともずっとずっと考えて考えて手に入れるくらいには。
お金と空気が同じというには、まだまだ道は遠そうだなぁ。
でも自分でも一つ救いがあるとすれば、実は初めて500円玉を入れたときもこんな感じだったんですよね。
そのころは500円ですら簡単には手に入らないと思っていたのが、今は平常心で入れられるところを見るとずいぶん成長したのではないかと。
もしかしたらいつか1万円もさらっと入れることができるようになるかもしれないですね。
また気が向いたら実験してみようかな。たぶん当分しないけど。できないけど。笑
今日は若干スピリチュアル寄りの話になってしまったので、嫌悪感を持たれた方もいるかもしれません。
実を言うと私もスピリチュアル系にはいい印象ばかりじゃない。
でも時に思いがけない発想や気付きを得られるので、最近は食わず嫌いせずに本を読んだりしてます。
今回のお賽銭に1万円も、どちらかというとそれによって得られる自分の心理変化を見たかったというか実験的な気持ちが強いです。
どんなこともやってみないと本当のところは見えてこないから。
楽しみながら色んなことを試してみたいと思います。
【追記】
この1万円が何倍にもなって返ってきました!