居心地の良さか、ストレスを超えた先の成長か

 

「もっと」という言葉を、ブログでも日常生活でも良く使います。

もっと良くなりたい、もっと良い自分に出会いたい。自分でも時々呆れるくらい成長思考が強い。

そんな「成長」について思っているところを今日は書いてみます。

 

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成長を望むということ

成長志向が強まったのはここ数年のこと。

それはごく自然な人間としての欲求だと思う。良くなりたいと願うことは、人の普遍的な欲求なんだ。

 

間もなく1歳になる姪っ子を見ていると、日々の成長に驚かされる。

テーブルにつかまって立ち上がることしかできずその場で泣いて助けを呼んでいたのが、今は自在に座ることもできるようになった。

昨日は一歩しか足が前に出なかったのに、今日はポポっと歩いて母のもとに届いた。

ただ泣くことでしか意思表示できなかったのに、今では笑い怒り、わからないなりに言葉を発して自分の意思を表明できる。

彼女を見ていると、成長したいと思うことは人間の本能に近いのかもしれないと思う。

 

私はもう一般的には大人と呼ばれていて、自分の意志で好きなところにいけるし、言葉や文字を使うこともできるし人並みに仕事をしてお金を稼ぐこともできる。

それでも、さらに良い自分になりたいと願ってやまない。

むしろ年を取るごとにその気持ちは強くなってる。

 

成長には2種類ある

今までの自分を振り返ってみて、成長したなって思う時には2パターンあることが分かった。

  • 日々の活動を続けるうちに、気付いたら成長しているパターン
  • つらい試練やストレスを乗り越えて、成長しているパターン

 

前者に関して、誤解を恐れずに言うと、人は自動的に成長していくように作られているんじゃないかと最近思うようになった。

「成長したい」なんて考えなくても子供が自然に大人になっていくように、生きているだけで人は自然と成長する。

特に何も考えなくても、毎日仕事で同じ業務をしていたらだんだん効率的にできるようになるし、料理下手な人だって毎日作ってたらそれなりに作れるようになる。それだって立派な成長だ。

もしかしたらそこには今流行りの潜在意識とかも関係してるのかもしれない。よくわかんないけど。

とにかく、回数をこなし時間をかけることで、自然に人は成長できる。自分に負荷をかけずにすむので、それはとても居心地のよいこと。

 

ストレスを超えてまで成長を望むのはなぜなのか

じゃあ、なぜ。なぜ成長したいという気持ちが出てくるのか。

人が自動的に成長していくものならば、なぜそこからさらに成長を望む気持ちが出てくるんだろう。

意識せずとも成長できるのに、自分を含め多くの人がなぜ日々「成長」を目指して四苦八苦しているのか。

 

それは、2パターンのうちの2つ目、つらい試練やストレスを超えた先の成長を知ってしまっているからじゃないだろうか。

人は何もしなくとも自然と成長していくことができるけれども、それだけじゃなく、さらに自分に負荷やストレスをかけて大きく成長できる。

ストレスがあるから、つらい。

けどもそのストレスを超えた先にある成長は、自動的に得られる成長よりももっと大きいし、ストレスがあった分さらに価値があるものだと思い込むことができる。

それは一種の麻薬みたいなものだ。

 

あえて自分をストレス下に置くことで主体性をもって自分の人生に取り組んでいるという快感があり、しかもその先には人間が本能として求める大きな成長がある。

そりゃ、成長したいと思っちゃうよね。

やってる最中はつらくても、いざ成長しちゃったらもう一回やろうってなっちゃうよ。

そう思うのは私だけじゃないはず。

 

目指したいのは赤ちゃん

成長というものを2パターンにわけて考えてみて、自分でも両方のパターンをそれなりに経験してきた。

そんな私がいま目指したいのは「赤ちゃん」だ。

 

赤ちゃんはそれこそ本能で成長していく(ように見える)。

先に例として挙げた姪っ子の行動然り。

彼女は「成長したい」なんて思ってなくて、ただ一心に、座りたいと思ったからお尻をおろしただけだし、母のもとに行きたいと思うから足が出たのだし、分かってほしいと思ったから発声しただけだ。

もちろんそれをストレスとも思ってない。自分の人生を自分で舵取りせねばなんていう力みをもってやったことでもない。

自分の欲求を満たすために目の前のことをやっていたら、自然とえらく成長できていただけ。

上で挙げた2パターンの、1つ目のようにも見えるし、でもその本能の強さや成長していく姿を見ると、何となく2つ目のストレスなしバージョン?みたいにも感じる。

 

ストレスなしで、自分の欲求を満たしつつ、自然と成長できる。

それってすごい。赤ちゃんてすごい。

私はこれからは赤ちゃんを見習って、自分をストレス下に置くことなく、でも自分の意思を持って、自然と成長していけるようになりたい。

 

成長を望むこと。

人として普遍的な欲求であるそれは、やり方を間違えると自分を大きく傷つけることにもなりかねない。

特にストレスを超えた先の成長を望むことは、快感や喜びを伴うからこそ、注意しなくちゃいけないと思う。 だから私はストレスなしでやってのける赤ちゃんに憧れる。

自分の中の「成長したい」という欲求と、破滅に向かわない程度に上手に付き合っていきたい。