樹木希林さんと「最上のわざ」という詩

 

映画「日々是好日」を見てきました。

 

 樹木希林さんと「最上のわざ」という詩

一方的ながら人としてとても尊敬していた樹木希林さん、お亡くなりになったと聞いてショックで、この映画は映画館でしっかり味わいたいなと思っていたのです。

映画そのものも素敵なのですが、やっぱりどうしても画面の中の希林さんの佇まいに目を奪われてしまいます。

 

希林さんのことをいいなぁと思い始めたきっかけも一本の映画でした。

2012年に公開された「ツナグ」という邦画です。

 たった一人と一度だけ、死者との再会を叶えてくれる人がいるらしい―。半信半疑で依頼をしてくる人たちの前に現れる使者は、ごく普通の高校生・歩美(松坂桃李)だった。歩美は、実は“ツナグ”を祖母のアイ子(樹木希林)から引き継ぐ途中の見習いで、その過程で様々な疑問を抱く。死者との再会を望むなんて、生者の傲慢かもしれない。間違いかもしれない。果たして会いたかった死者に会うことで、生きている人たちは救われるのか。人生は変わるのだろうか。そして死者は…。(c) 2012「ツナグ」製作委員会

 

死んだ人ともう一度会える、なんていうちょっと突飛なお話なのに違和感を感じさせない世界観で、 見ていてぐいぐい惹きこまれました。

 

依頼者たちそれぞれの思いも良いのですけど、私が大好きなのは樹木希林さん演じるおばあちゃんと、松坂さん演じる主人公のやりとりのシーン。

二人が暮らすお家や、身につけているものへの思い、美味しそうな食事。どの場面も彩りが良くて、二人の思いが伝わってくる気がします。

 

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そんな二人のやりとりの中で、時折希林さんが諳んじる詩があります。

 

『最上のわざ』

 

この世の最上のわざは何?


楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。


若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。


老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。


おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。


神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。 

Hermann Heuvers

 

この詩は、ドイツ人の神父様であるヘルマン・ホイヴェルスという方が友人から贈られたものだそうです。

「ツナグ」の原作を読んでも出てこないのですが、調べてみたらどうやら映画化にあたり希林さんの提案でこの詩を使うことになったそうですね。

映画の中でもすごく象徴的に使われていて、初めて聞いた時も胸に染み入る感じがしました。

それ以来、樹木希林さんもこの詩も好きになったのです。笑

 

30代なんてまだまだ全然ひよっこかもしれないけれど、それでも自分なりに「年をとったな」って思うこともあって、そういう時にこの詩を思い出すと気持ちが前向きになります。

老いの重荷は、神の賜物。

 

 素敵な詩と出会わせてくれたことに感謝しつつ、希林さんのご冥福をお祈りしています。

 

ツナグ

ツナグ