哲学を足掛かりに自分を深く知ることができるかやってみる
友人に勧められた哲学の本が思いのほか面白くて、でも面白いけど落ち着いて考えるとちんぷんかんぷんで良く分からなくなってくる、という不思議な体験をしています。
今日はそのことを書きます。
勧められた本というのがコチラ。
私は哲学というものが正直よく分かりません。
大学の授業で、哲学入門があったので取ってみたけど、たしか2回しか出席しなかった。
先生が何を言ってるのか理解できなかったから。
物理や数学もよく分からなくて苦手だけど、なんかもっと恐怖に近い感情だった。怖かった。
考えても答えの出ないものを延々と考え続けて、小難しい言葉で説明してくる。良く分からなくて質問しようとしても「それはお前が未熟だからだ」って突っぱねられるような感じ。
哲学に対してそんなイメージを持っていたので、突然友人がこの本を勧めてきた時も最初は「えっ」って思いました。一瞬友人そのものを「なんか企んでるんじゃないか」って疑ったくらい。そのまま怪しげな宗教に勧誘してくるんじゃないか、とか。笑
それくらいマイナスのイメージだったのです、哲学って。
最初はそうやってちょっと疑いの目を向けてましたが、最近自分も大人になって、答えの出ない問いを自分なりに考えたりするのも面白いなぁって思えるようになったし、何よりせっかく友人が勧めてくれたので、物は試しで読んでみました。
何これめっちゃ面白い!けど、ぜんっぜん進まない!!なんだこれ。
基本的には、見開き1ページで1つのテーマが扱われていて、そのテーマに関して歴史上の哲学者たちがどんな主張を行ったかが紹介されています。説明もわかりやすいし簡単な言葉で書かれているので読むこと自体は簡単。そして何となくわかった気にもなる。
けど、それぞれの主張に対して「本当にそうなのかな?」って考えてみたり、「私だったらどう主張するか」を考え出すと、一気に迷宮入りしてしまいます。
たとえば「「私」が死んだあと、この世界はどうなるのか」というテーマ。
よく聞く話よね。
私も10代の頃にこういうことを考えて父親に聞いたことがある。でも答えは出なかった。
この本では、一般的にもよく言われている「世界を認識する主体である私が死ぬとき、世界も終わるんじゃないのかな」っていうわかりやすい導入なんだけど、そこからスピノザというオランダ出身の哲学者の主張の解説が始まります。
スピノザも、精神がものを認識したり、想起したりするのは、身体が存続する間だけであることを認めます。しかし、彼の定義によれば、人間の体も精神も神(摂理)の変容なのです。そして神はあらゆる物を統べる摂理である以上、必然的であり、永遠であるといいます。
(中略)
これは必ずしも、「自分という存在も摂理に埋没してしまう」ということを意味しません。摂理の一部になるというよりは、摂理との結び付きを意識するのです。これが達成されたとき、「存在しうる限りの最高の精神の満足」が生じ、私たち人間も永遠という観点から捉えられる存在になります。
どう??なんか宗教チックでしょ?私が友達のこと疑ったのも無理ないと思うんですよね。
しかも、別に結局言ってるのって「神様を信じれば幸せになれるよ」的な感じじゃん?
あれ?違う??もしかして私の読解力不足のせい?
とにかく、私はこういう、よくわからないテーマを取り上げといて、結局神様とか宇宙とか言い出して言いくるめられる感じに嫌悪感があったんです。
今も若干そうなんだけど、ただ、以前より変わったのは、じゃあ自分なりの答えを出してみようじゃないかと思えるようになったことじゃないかと。
「自分が死んだら世界はどうなるのか?」という問いに「なんかよくわからないけど神様さえ信じていればOK解決」みたいなのはもういい。
別に真実かどうかとか、それで悟りに近づきたいとかいうつもりは一切なくて、ただ自分で納得できる説明をしたい。
そしたらもしかしたら、気づいた時にはもっと自分のことを深く知れてるんじゃないかなって欲もある。
いま、ブログを書いて自分の思考を文字にする面白さ難しさを実感しているからこその欲求かもしれないけど。
こういう人類の永遠のテーマみたいなものに、ひとつずつ自分なりの説明をつけていけたら気持ちがいいだろうな!って思います。単純に。だからやってみる。
一体いつまでかかるのか、見当もつかないわ。
この、「自分が死んだら世界はどうなるのか」もいつかこのブログで説明できたらいいな、と思いながら、今日もうんうんうなってます。うふふ、楽しい!