自由に選べるという幸せと贅沢
大人になってから、幸せを感じる瞬間が増えたなと思います。
それはたぶん、たくさんの本に書かれている、「幸せはなるものじゃない。気づくものだ」っていうのを知ったせいもあるでしょう。
そしてもっと単純に、大人になって自由にできるあれこれが増えたからっていうのも一因だと思うのです。
自由に選べるという幸せと贅沢
自分の半生を振り返ると、それなりに幸せな子供時代だったなと思います。
それなり、という言葉を使ってしまうとちょっとネガティブな印象があるけれど、それは決して否定的な意味ではなくて、往々にして予測される程度には応じていると評価できるくらいの、という意味で、たぶんこの表現が一番しっくりくる。
容姿も能力も普通で、それを補えるほどの情熱もなかったけど、最低限この社会で生きていく技術は身につけられた学生生活。
反抗期にわかりやすく溝を作りはしたものの、毎日帰りを迎えてくれた家族。当たり前にあった暖かいごはんと布団。
誰かの何気ない評価や一言で、自分の怠慢や見栄で、知らずにつぶしてきた可能性。
そしてそれでも掴んできたこの生き方と思い出たち。
夢に見るようなロマンも、ドラマチックな派手さもないけれど、振り返ったときにじわりと感じる幸せがあったなぁと思う。
でも今の方が、もっともっとわかりやすく幸せだなと思える瞬間がたくさんあります。
欲しいものは欲しいと思えば手に入れられるし、好きな時に好きなものを食べることができる。
好きな人と一緒にいて、好きな場所に行って、好きなことを仕事にできる。
自分の望むものを自由に選べる。
この自由が、幸せだ。
まぁ確かに学の浅い人間としては、自由がゆえに不自由を感じる場面もなくはないけど。
でもやっぱり、自由っていい。
大人ってすごい。こんなに自由で、こんなに幸せ。それってなんて贅沢なんだろう。