天才を樹木に例える

こんにちは、きりん屋です。

昨日ランチに寄ったお店に置いてあった本に「天才」について書かれていました。

 

ちなみにコチラの本。

自分を敬え。超訳・自助論

自分を敬え。超訳・自助論

 

 

天才っていうのは、自分を自分で燃え立たせて、あたりまえのことをコツコツやり続けた結果、気付いたときには自然となっているもの、と前置きした上でこんなお話が続きます。

 

最高の天才は樹木です。常に日光を浴びて、二酸化炭素を使って酸素を放出し、地球に貢献しながら成長、進化を続け、文句も言わず新しい花を咲かせ続ける。

ですから天才になりたいのであれば、樹木のごとく生きればいいのです。生命体の基本に立ち返り、自らの生命力を最大限に活かして進化を思う存分満喫するだけでいいのです。

 

ですって。

天才を樹木に例えるって、きりん屋は初めて遭遇しまして、びっくりしました。

でも読んでて納得したんです。

確かに木とか植物とか、光合成してみんなに貢献しながら毎日あたりまえにそこにあって、暑い夏も寒い冬も雨続きの梅雨も文句ひとつ言わなくて、完全なる「コツコツ型!」

あたりまえのことをコツコツやり続けることで天才になるなら、樹木こそ天才だわ。

目からうろこ。

 

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正直言うと、きりん屋には樹木みたいに生きるなんてまず無理っていうか、目指そうとすら思いませんけど。

だってすぐ文句言っちゃうし、すぐダレて「今日はサボろう」ってなるし。

だけどこういう自分には思いつかない発想にすごく惹かれました。

いいよね、こういう例えができるって憧れます。

ついでにこういう例えを知るだけで、何気なく目にとまった樹木も敬えるというか大切にできる気がする。

 

いい例えに出会ったな。