歎異抄で心を正す

 

昨日スーパーでお会計をした後帰ろうとしたら、傍で商品を袋に詰めていた奥様がえらく怒った感じで「どんだけ時間かかってんねんボケ」みたいな悪態をついておりました。

たぶん、お会計に思いのほか時間がかかったのかな。

 

私よりもう少し年上っぽい女性で、横目で見てすぐに通り過ぎましたが、お店を出て自宅に帰るまでずっと、「いや~ああはなりたくないわ~」と思ってました。

 

何様?って感じですよね。

もうほんと何様なんだろう。えっらそうに、自分がいったいどんだけの人間だと思ってるんだろう。

私って自分が大好きで、なまじ自分にへんな自信があるからか、往々にしてこういうことがあるのです。

街でちょっと見かけた人を上から見るというか、自分を棚に上げて心で蔑むというか。

そしてしばらくするといつも思い出す言葉があります。

 

歎異抄の有名な一節。

わがこころのよくて、ころさぬにはあらず

 

歎異抄、初めて読んだのは大学生の頃だったと思います。

恥ずかしながら、当時は「歎異抄」を何と読むのかすらわからなかった。

浄土真宗の開祖である親鸞の言葉をお弟子さんがまとめた本です。

私の実家がゆるーく浄土真宗のお寺さんと付き合いがあり、興味本位で読んだのが最初。

 

まぁ、びっくりしましたね、初めて読んだときは。

善人よりも悪人こそが救われる、とかね。

若かりし私は言葉のまんま受け取っちゃってなんじゃこりゃー!ってなりました。

 

あれから10年以上、折に触れて何度か読み返し、有名な先生の解釈なんかも知って、あの時ほどの拒否反応はなくなりました。

いまも、親鸞聖人の言いたいことが理解できてるレベルでは到底ないけど。

 

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先ほどの一節。

自分の心が優れているから人を殺さないんじゃない。縁がないから殺さないだけで、百人でも千人でも殺すことがあるかも知れない。人は縁によって、どんな行いもしてしまうんだ、と解釈してます。

 

昨日の一件も、もし私がそのレジに並んでいたら、悪態をついていたのは自分だったかもしれない。

自分ができた人間だからやらないんじゃなくて、たまたまその時は縁がなかっただけで、どんな悪いことも自分だってやっていたかもしれないと思って生きていくこと。

仏さまから見れば人間は全て悪人なのに、自分だけは善人だと思っている傲慢さはどうなんだ、という親鸞聖人の問いを忘れないように。