信頼を築くのは一人でもできる
ベストセラーにもなっている有名本「嫌われる勇気」。
今日はこのベストセラー本から「人を信じる」というキーワードを抜き出して、自分の考えをまとめてみます。
人を信じるとはどういうことなんだろう
私は人付き合いが苦手です。だからこそ考えていきたいと思うし、考えることが面白いと思っている。
だから「人を信じる」ことも、考え、実行してみてはうまくいかずに悩み、そもそも無理じゃない?と諦め、いやでもそんな人生寂しすぎると考え直し、また悩むという連鎖を続けておりました。
「信じる」となったら対象となる相手が出てくる。
自分一人ならばいざ知らず、あちらさんがいる話を自分の努力だけでどうにかしようというのがそもそもおかしいんじゃない?と思ってました。
信頼と信用のちがい
この本では「信じる」という言葉を信頼と信用とに区別して考えられています。
信用とは条件付きの話。対して信頼は「他者を信じるにあたって、一切の条件をつけない」こと。
もちろん、いっさいの条件を付けることなく他者を信じていたら、裏切られることもあります。借金の保証人がそうであるように、こちらが損害を被ることもあるでしょう。それでもなお、信じ続ける態度を信頼と呼ぶのです。
本の中の哲人のこの言葉、ああそうですよねって納得できますか?私はできない。
哲人と対話する青年と全く同じ「そんなもの、頭の弱いお人好しですよ!」って思いました。
自分の身をなげうって人を信じなくちゃいけないの?そこまでする意味ある?そんなのおかしいでしょ。
信用という考え方だからつらくなる
それが、5回くらい読んでやっと哲人の言いたいことが分かってきました。
私を含め「人を信じる」ことで悩んでいる人の多くは、「信じる」ことを「信用」で考えているからつらいんだ。
相手が裏切らないから信じる。
相手が自分にとって有益な何かをもたらしてくれるから信じる。
そういう条件付きで考える「信用」を相手に求めているから。
自分の努力でどうしようもない「相手」の動きが軸になっているから、難しくなる。
信頼は全て自己完結
この本では「課題の分離」という言葉が良く出てきます。物事を自分の課題と他者の課題に分けて考えることで、人生は驚くほどシンプルになると。
さて、信用は条件付きな分、軸が相手に移ってしまって話が難しくなる、というところまで書きました。
じゃあ信頼はどうだろう?
信頼は条件なし。信じるか信じないか、自分が決める。決めたら相手がどうだろうと関係ない。信じるならば信じるだけ。
なんか、当たり前のことじゃない?なんでこんな当たり前のこと、今まで気づかなかったんだろう?
信頼と信用をごちゃまぜにした「信じる」だから難しかったんだ。
信頼は一人でできる。
考えてもわからないなら、やってみよう
とは言え、無条件に人を信じるって、そんなことできるのかな。そんなこと可能?
正直、まだ懐疑的なところがある。でも、そこはいくら頭で考えても答えの出ないところ。
アドラーの教えは本を読めば学ぶことができるけれど、それを自分のものにできるかどうかは別問題。
なので、やってみようと思います。
とりあえず、身近にいる家族。夫と子供を信頼してみる。
人を信頼することは一人でできる。
それは本当に可能なのか。
可能なら、人を信頼した先に何があるのか。
楽しみです。