知行合一、知は実践を伴ってこそ

 

今日は、自分への戒めの気持ちを込めて、自分の座右の銘「知行合一」について書きます。

 

f:id:kilinya:20160625065713j:plain

 

知行合一とは

中国,明の王陽明が提唱した知識と行為に関する根本命題。朱子や陸象山らのいわゆる「知先行後」説に対するアンチテーゼ。

たとえば「寒い」という知識が寒さの体験 (行) と不可分であるように,「知」はすべて「行」を通して成立する,もしくは「行」を通してしか「知」は成立しえないという論理。 

こうやって説明されると難しいけど、要は「知識として知るだけじゃなく、実際に行動してこそ本当の知識となる」という意味だと理解してます。

吉田松陰が松下村塾の掛け軸に掲げていた名言として有名な言葉です。

 

頭でっかちにはなりたくない

私は本を読むことが好きです。

本は自分の知らない新しい世界、知識、事実、表現を教えてくれる。

 

自分の頭の中にぼんやりとあったものを、的確に文章で表現されていたときの感覚。

1冊の本を読んだだけで、自分の周りの世界が一変する驚き。

未知のものに対する興奮と恐怖がまぜこぜになって、でもなんだかとてもワクワクする気持ち。

一度味わうと病みつきになる。本て素晴らしいなぁと思います。

 

そして同時に、そういう感覚を得るだけで終わらないように気をつけないといけないと、いつも肝に銘じています。

どんなに優れた知識も実生活で活かせなければ何の意味もない。

知っているだけ、わかったつもりになっているだけで行動が伴わず、誰かを批判するときにだけ引っ張り出してきて偉そうに講釈を垂れる人間にはなりたくない。

そんな頭でっかちさんには絶対になりたくありません。

 

知は実践を伴ってこそ

たとえば、「嫌われる勇気」に出てきた「他者を評価しない」ということ。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

本を読んでいて、頭では理解できるし、「他者を評価しない」ことが本来あるべき人間の姿だと共感も出来る。

じゃあそれが分かったからといって、実生活ですぐに実践できるかというと、大半の人にとってはそう簡単なことではないと思う。

 

私もわかっているのに、つい評価してしまう。わかっているのに、できない。

それはたぶん、「他人を評価しない」の本質まで理解しきれてないんだろうなと思う。だって、出来てないんだから。

 

知った知識を実際に実行し、体験し、実践を重ねて、工夫し、鍛錬していく。

上手くいかないこともあるし、挫折することもある。もしかしてこれ、認識とか論理とかがちょっとおかしいんじゃない?と疑問をもつこともあると思う。

そういう過程を経て、自分で体現することができたとき、初めてその物事を真に理解するという境地に至れるんじゃないかと。

 

なんだか難しい感じになってしまったけど、言いたいのは「知るだけで満足せず、やってみよう」ってこと。

最終的に、私は「他者を評価しない」は一生達成できないかもしれないけど、できないできないと悩みながら試行錯誤していくうちに磨かれるものもあると思う。

人生は色んなことを試す場でもあると思うから、自分の得た知識を実践する場としても使っていきたい。

 

知行合一。知は実践を伴ってこそ。

いつも忘れず胸に刻んでおきたい言葉です。